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東京地方裁判所 平成6年(ワ)17957号 判決

原告

高儀榮一

右訴訟代理人弁護士

田嶋春一

被告

森清治

右訴訟代理人弁護士

小野幸治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して、同目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を明け渡し、かつ、平成六年九月一七日から右明渡済みまで一か月金一万八一二一円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、本件土地を賃借して右土地上に本件建物を所有している被告に対し、前訴の明渡請求訴訟において成立した訴訟上の和解で定められた供託賃料還付手続の協力義務の不履行等を理由に、土地賃貸借契約の無催告解除を主張して、再度、建物収去土地明渡を求めている事案である。

一  基礎となる事実

1  高儀くハ(以下「亡くハ」という。)は、昭和三二年一一月四日ころ、森ミツ(以下「亡ミツ」という。)に対し、普通建物の所有を目的として本件土地を賃貸し(以下「本件賃貸借」という。)、亡ミツは、右土地上に本件建物を所有した。被告は、昭和五五年八月七日、亡ミツが死亡したことに伴い、相続により本件建物の所有権及び本件賃貸借の賃借権を承継した。次いで、原告は、昭和六一年一一月一〇日、亡くハが死亡したことに伴い、相続により本件土地の賃貸人の地位を承継した。

2  亡ミツは、昭和四七年一月分以降、本件賃貸借の賃料として一か月四〇五六円の割合による弁済供託をし、同人の死亡後は、被告において引き続き右供託を継続し、昭和六二年一〇月分以降は供託額を一か月一万四五二五円に増額したところ、前記のとおり亡くハを相続した原告は、本件賃貸借の存続期間経過後、被告の使用継続に対して遅滞なく異議を述べた上、期間満了により本件賃貸借が終了したとして、同年一二月、被告に対し、本件建物を収去して本件土地の明渡を求める訴訟(当庁昭和六二年(ワ)第一六九四二号、以下「前訴」という。)を提起した。

3  前訴の平成二年四月一三日の口頭弁論期日において、原告と被告との間で、次のとおりの訴訟上の和解(以下「前訴和解」という。)が成立した。

(一) 原告は、被告に対して、本件土地につき、昭和六二年一一月五日より左記約定により普通建物所有を目的として引き続き賃貸し、被告はこれを借り受けて賃料を支払うことを約定した(第一項)。

(1) 期間は昭和六二年一一月五日より満二五年間とする。ただし、この期間満了後は当事者協議の上、更新することができる。

(2) 賃料は一か月一万八一二一円とし、被告は毎月末日限りその翌月分を原告方に持参又は送金して支払う。

(3) 右賃料は租税公課の増減又は経済情勢の変化に従って当事者協議の上この金額を増減変更するこができる。

(4) 被告は、左記の事項を行うときはあらかじめ原告の書面による承諾を受けなければならない。

イ 本件土地の上の建物に増改築を施すとき。

ロ 借地権を他に譲渡し、若しくは本件土地を他に転貸するとき。

(5) 原告は、被告において左記事由があったときは、別段の催告を要せず本件賃貸借契約を解除することができる。

イ 右(4)の事項に違背したとき。

ロ 賃料の支払を三か月分怠り、相当な期間を定めて催告を受けてもこれを支払わなかったとき。

(二) 原告は、被告に対し、被告の従前の増改築及び賃料供託について、契約違反等の責任は一切問わないことを確認する(第二項)。

(三) 被告は、原告に対し、今回の更新につき更新料として二〇〇万円の支払義務があることを認め、これを平成二年一〇月三一日までに原告代理人事務所方に持参又は送金して支払う。被告が右の支払期限までに右の更新料の支払を怠ったときは、右の更新料に平成二年一一月一日以降支払済みまで年三割の違約金を付加して直ちに支払う(第三項)。

(四) 被告は、原告に対し、被告が昭和四七年一月以降平成二年四月まで供託した賃料の還付を受ける権利のあることを認め、これが還付につき協力するものとする(第四項)。

(五) 原告のその余の請求を放棄する(第五項)。

(六) 右に定めた外、当事者間には何らの債権債務の残存せざることを相互に確認した(第六項)。

(七) 訴訟費用は各自弁とする(第七項)。

4  被告は、平成二年一〇月二五日、前訴和解の第三項に基づく更新料二〇〇万円の支払義務を履行したが、平成三年七月一日、前訴和解の第四項に定める供託賃料のうち、昭和四七年一月分から昭和四九年四月分まで一か月四〇五六円の割合による二八か月分合計一一万三五六八円(以下「本件供託金」という。)につき払渡請求手続を行い、平成三年八月七日、その払渡しを受けた上、これを新規に開設した自己名義の郵便局普通預金口座に預け入れた。

5  原告は、平成六年六月九日、前訴和解第四項の供託賃料のうち、昭和四九年五月分から平成二年四月分までの供託金の還付を受けた後、被告に対し、平成六年六月二七日到達の書面により又は平成七年二月一日の本件口頭弁論期日において、本件賃貸借を解除する旨の意思表示をした。

二  原告の主張

1  本件賃貸借の無催告解除の事由は、次のとおりである。

(一) 被告は、前訴和解の第四項に基づく供託賃料還付手続の協力義務を履行しなかった。すなわち、原告は、平成二年八月六日ころ、前訴における訴訟代理人である弁護士高橋保治(以下「高橋弁護士」という。)を通じ、前訴和解の第四項に基づき、被告の前訴及び本訴における訴訟代理人である弁護士小野幸治(以下「小野弁護士」という。)に対し、関係部分の供託書の送付を求めたところ、供託者亡ミツ名義の昭和四七年一月分から昭和四九年四月分まで合計二八か月分の供託書(以下「本件供託書」という。)が紛失しているとの回答に接した。そこで、原告は、平成二年一〇月二四日ころ、高橋弁護士を被告の代理人として被告名義で本件供託金の取戻手続を行うため、小野弁護士に対し、被告の実印を押捺した委任状、印鑑証明書、被告が亡ミツの単独相続人である旨の上申書の送付を求めたが、何らの回答もなかったので、平成三年六月二六日ころ、被告に対し、再度、その送付方を求めても、被告は履行しなかった。

(二) そればかりでなく、被告は、平成三年七月一日ころ、原告に対し、前訴和解の第四項の協力義務は被告が手元にある供託書を原告に交付することを定めたものであり、印鑑証明書等を交付すれば原告に悪用されるおそれがあるし、本件供託金は亡くハの財産であるから相続人全員出席の上でなければ渡せないので、それまで被告が本件供託金を取り戻して被告名義で預金しておく旨通告した。そして、被告は、正規の相続手続をとることなく、いずれも死亡している供託者及び被供託者名義の文書を偽造した上、同年八月七日、違法に、供託規則三〇条の手続により供託不受諾を理由に本件供託金の払渡しを受け、その結果として、二年四か月分の賃料債務を不履行にした。被告は、右のような複雑な手続をとってまで本件供託金の取戻を受けなければならない必要性も、右供託金を自己名義で預金する必要性も全くなかったのであり、右取戻と預金化それ自体が原告に対する嫌がらせないし重大な背信行為といわざるを得ないのであって、原告は、平成六年六月九日に供託金の還付を受けた際、被告が既に本件供託金を供託書で取り戻していることを初めて知ったものである。

(三) さらに、被告は、平成四年一月四日、原告が私道上に違反駐車している運転者に注意をした際、原告を指して、こんな馬鹿の言うことなんか聞くことはない、何も答える必要はない、そのまま自動車を出してしまえなどと発言して原告の名誉を毀損したほか、原告が違反車両の発車を止めようとしたところ、被告が原告を突き倒そうとしたのを原告の妻が支えようとした結果、原告の妻が押し倒された。また、平成六年六月二七日から同年六月三〇日にかけては、数回にわたり、原告に対し、大声を上げて賃料の受領を強要し、再三にわたり侮辱的な言動をとった。

(四) 以上のような被告の一連の行為は、土地賃貸人の原告に対する重大な背信行為であり、本件賃貸借の信頼関係を著しく破壊するものである。

2  本件土地の相当賃料額は、一か月一万八一二一円であるから、原告は、被告に対し、本件賃貸借の解除に基づき、本件建物を収去して本件土地を明け渡し、かつ、訴状送達の日の翌日である平成六年九月一七日から右明渡済みまで右賃料相当損害金の支払を求める。

三  被告の主張

1  被告に本件賃貸借の無催告解除が肯認されるほどの信頼関係を破壊する行為があったとは到底いえない。すなわち、

(一) 一般に、賃貸人が供託賃料の還付を受けるには、供託金払渡請求書に供託通知書を添付すれば足り、賃借人が具体的に協力すべき事柄は考えられないところ、前訴和解の第四項は、被告の手元に残っている供託書を原告に交付して原告の還付手続に協力する旨を念のため定めたものにすぎない。原告が主張するように、原告が被告の代理人として取戻手続を行うために被告名義の実印による委任状や印鑑証明書等を原告に交付することは、和解協議の席上でも一切話しに出ていない。被告は、本件供託書が手元に残っていなかったので、平成二年六月七日、手元に残っていた昭和四九年五月分から平成二年四月分までの供託書全部を原告に交付し、これにより前訴和解上の義務を履行しており、その後に、本件供託書の分だけでなく、右交付済みの供託書の分を含めた供託金の取戻手続のため、原告からの委任状等の送付要請に応じなかったからといって、被告が前訴和解の第四項に基づく協力義務の不履行を問われる筋合はない。

(二) 被告は、被告名義の委任状等の送付を求める原告の要請に対処するため、平成三年六月二九日、東京法務局に赴いて供託担当官に相談したところ、被告の手元に本件供託書が残っていない本件供託金も亡ミツの名義で取り戻しができるが、これは亡くハの財産なので、被告が取戻手続をして預金しておき、亡くハの相続問題が決着がついた段階で原告側に渡したらどうかとの教示を受けた。そこで、被告は、右教示に従い、原告に予告した上で、平成三年八月七日、供託規則三〇条の手続により本件供託金の取戻を行い、別途、郵便局に自己名義の独立した普通貯金口座を新設して右金員を預け入れ、原告が相続人であることが確認できればいつでも引き渡す所存であった。原告は、被告が右手続をとったことを知り得たのであり、東京法務局に問い合わせて通知し、異議申出をすることも可能であったのにこれをせず、三年も経過した後にいきなり本件無催告解除に及んだものである。

(三) 原告は、前訴和解が成立した日の翌日である平成二年四月一四日には、自宅から出掛けようとした被告の自動車の前に立ちふさがるなどの妨害をし、今度の和解で終わったと思うな、お前をここから追い出してやる、何度も何度もどんな手段をとっても、何年たっても、孫子の代になっても、本件土地を取り上げて見せるなどと暴言を吐いた。その後も、原告は、同様の妨害を繰り返し、原告が主張する平成四年一月四日には、原告がお前の借地は必ず取り上げるなどと言いながら被告に体当たりをし、原告の妻が被告の自動車が出るのを妨げるため前面の路上に寝転んだまま動かず、やむなく警察官の来援を求めたものであり、こうした原告の対応の仕方は異様というほかはない。

2  原告が平成六年六月二七日被告到達の書面で解除したところによれば、被告が本件供託書を紛失したと偽ってこの期間の供託書だけ意図的に交付しなかったとして背信行為を問うものであったのに、原告は、本訴では、前記のとおり、被告が本件供託金の取戻を受けこれを貯金化したなどと主張して、解除事由をすり変えており、この点からも原告の本件解除の主張は到底許されない。

四  本件の争点

原告のした本件賃貸借の無催告解除が有効であるか否か。

第三  争点に対する判断

一  前訴和解に基づく供託賃料還付手続の協力義務の不履行について

1  原告は、昭和六二年一二月、被告に対し、本件賃貸借の期間満了を理由に本件建物を収去して本件土地の明渡を求める前訴を提起したが、平成二年四月一三日、原告と被告との間で本件賃貸借の継続を内容とする前訴和解が成立したこと、前訴和解の第四項において、被告は、昭和四七年一月以降平成二年四月まで供託した賃料につき、原告がその還付を受ける権利のあることを認め、その還付につき協力するものとする旨定められていること、被告は、平成三年七月一日、右供託賃料のうち、本件供託金、すなわち、昭和四七年一月分から昭和四九年四月分まで一か月四〇五六円の割合による二八か月分合計一一万三五六八円につき払渡請求手続を行い、平成三年八月七日、その払渡しを受けた上、これを新規に開設した自己名義の郵便局普通預金口座に預け入れたことは、前記基礎となる事実のとおりである。

2  ところで、原告は、被告が、前訴における原告の訴訟代理人である高橋弁護士が被告の代理人として被告名義で本件供託金の取戻手続をとるのに必要な委任状等を送付しなかったことをとらえて、前訴和解の第四項に基づく協力義務を履行しなかった旨主張するが、そもそも右条項において定められたのは、原告において供託賃料の還付を受けるにつき被告が協力すべきことであって、右主張のような事項それ自体ではないことが明らかであり、また、証拠(甲三二、三三、乙七、被告本人)によると、右のとおり原告において還付を受ける手続をし、被告がこれに協力する旨の和解条項は原告側の申出に基づくものであったことが認められる。

3  そして、前記基礎となる事実と証拠(甲五の1ないし6、一七ないし一九、二四の1ないし7、乙一の1ないし3、二、三の1ないし5、四、五の1ないし3、七、原告、被告各本人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 高橋弁護士は、前訴和解の成立後、何度か供託賃料の還付を受けようとしたが、被供託者の名義人が「亡くハ」、「亡くハの相続人原告外不明」、「亡くハの相続人原告」、「原告」などと区々であり、亡くハが昭和六一年一一月一〇日に死亡し、その供託金還付請求権の相続人が具体的に確定していないところから還付手続ができなかったため、平成二年六月六日、前訴における被告の訴訟代理人である小野弁護士に対し、被告から供託書の送付を受けて供託賃料の取戻方法につき検討したい旨申し入れた。これに対し、小野弁護士は、同年六月七日ころ、昭和四九年五月分から平成二年四月分までの供託書を送付したが、供託書がない供託者亡ミツ名義の本件供託書について、平成二年八月六日ころ、高橋弁護士から、その有無を確認し、送付されたい旨の申し出を受けたので、同年八月中に、同弁護士に対し、本件供託書は被告の手元に残っていない旨回答した。

(二) そこで、高橋弁護士は、平成二年一〇月二四日ころ、小野弁護士に対し、高橋弁護士が被告の代理人として被告名義で供託賃料全部の取戻手続を行うこととし、供託書のない本件供託書の分については供託規則三〇条による手続をとるべく、各供託書の供託番号・元本金額の明細表を添付した委任状用紙三通(供託書亡ミツ名義の分については被告がその相続人として、また、供託者被告名義の分については被告が本人として各作成名義人となっており、本件供託書の分については供託規則三〇条の手続による旨明記されている。)及び亡ミツの相続人が被告一人である旨の被告作成名義の上申書一通を送付し、本件供託書の分には委任状に上申書及び印鑑証明書の添付が必要である旨付記して、各委任状及び上申書に被告の署名と実印による押捺をして返送されたい旨依頼した。

(三) 被告は、平成二年一〇月二五日、前訴和解で定められた更新料二〇〇万円を遅滞なく支払ったが、小野弁護士から転送を受けた右委任状等の作成については、手元に残っていた供託書を原告に送付したことで前訴和解の第四項に基づく協力義務は履行済みであるとの認識から放置していたところ、平成三年五月二一日ころ、高橋弁護士から、前記委任状等の返送方の催告と一〇日以内に何らの回答もないときは前訴和解の第四項に基づく協力義務の違反を理由に本件賃貸借を解除する旨の通告書の送付を受け、さらに、同年六月二五日ころには、高橋弁護士外三名の弁護士の連名による右同旨の催告と解除予告を内容とする通知書の送付を受けた。

(四) しかし、被告は、既に、前訴和解の成立の日の翌日には、原告から、今度の和解で終わったと思うな、どんな手段をとっても何年かかっても被告から本件土地を取り上げるなどと言われていたこともあって、平成三年六月二九日、右通告書等を持参して東京法務局に赴き、供託担当官に相談したところ、本件供託書に係る本件供託金は亡くハの相続財産であり、その相続人全員のものであるが、亡ミツが供託時に使用した印章が残っていれば同人名義で払渡請求手続ができるから、被告の方で取戻をして預金しておき、亡くハの相続問題に決着が付いた段階で原告側に引き渡したらどうかとの助言を受けた。

(五) そして、被告は、平成三年七月一日ころ、原告に対し、前訴和解の第四項に基づく協力義務は被告が手元にある供託書を原告に交付することを定めたものであり、印鑑証明書等を交付すれば原告に悪用されるおそれがあるし、本件供託金は亡くハの財産であるから相続人全員出席の上でなければ渡せないので、それまで被告が本件供託金を取り戻して被告名義で預金しておく旨通告した上、供託規則三〇条の手続による払渡請求手続を行い、同年八月七日、供託不受諾を理由に本件供託金の払渡しを受け、これを新規に開設した被告名義の郵便局普通預金口座に預け入れた。被告は、現在も、右預金通帳及び印章をそのまま所持しており、右通帳は別の金員の預入れや払戻しには一切使用せず、いつでも原告側の権利者に引き渡せる態勢をとっている。

4 ところで、原告は、被告は、供託規則三〇条による複雑な手続をとってまで本件供託金の取戻を受けなければならない必要性も、右供託金を自己名義で預金する必要性も全くなかったのであり、右取戻と預金化それ自体が原告に対する嫌がらせないし重大な背信行為であり、その結果として、二年四か月分の賃料債務を不履行にした旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、前訴和解においては、本来、原告が供託賃料の還付を受け、被告がこれに協力することとされていたが、原告側の都合で、原告の前訴の訴訟代理人において被告の代理人として被告名義で取戻手続を行うことに方針が変更されたものであり、しかも、供託書がない本件供託書に係る本件供託金については、右代理人自身、供託規則三〇条の手続により被告名義で取戻を行うこととして被告に対し委任状の送付を依頼していたことは、前示のとおりであるから、供託規則三〇条の手続は、本来、原告としても予定していたところであるといわなければならない。もっとも、弁済供託をした供託者が供託金を取り戻して自己名義で預金するということ自体は、被供託者の還付請求権を失わせ、弁済供託の法的効果を失効させることは明らかであるが、本件においては、前記認定のとおり、被告は、前訴和解の成立の日の翌日には、機会があればいつでも本件賃貸借を終了させるとの原告の強い意向に接しており、手元に残っている供託書を送付したことで前訴和解の第四項に基づく協力義務は履行済みであると認識していたところ、その上に、原告側から送付済みの右供託書の分を含めた供託書全部についての取戻手続に要する委任状等の送付を再三求められ、さらに、協力義務違反を理由とする本件賃貸借の解除予告までされていたため、原告から送付された書類を持参して法務局で相談し、原告に予告した上で、供託担当者の助言に従い、本件供託金の取戻と預金化の措置をとったものである。被告のこのような措置が結果的に事態を紛糾させることになったことは否定することができず、被告が前訴和解の第四項に基づく協力義務をその本旨に従って履行したとはいえないとの憾みもいささか残るが、前訴和解では、昭和四七年一月分以降平成二年四月分まで一八年四か月分の供託賃料につき原告に還付請求権が認められ、被告のした従前の賃料供託については契約違反等の責任は一切問わないことが確認されていること、被告が取戻と預金化の措置をとった供託賃料は、二年四か月分にすぎず、その余の供託金は後に原告がその全部の還付を受けていること、被告が本件供託金を預け入れた自己名義の預金は、権利者が判明次第いつでも引き渡すべきものとして被告が独立した預金通帳で管理していること、原告は、被告において本件供託書の分につき供託規則三〇条による手続を取ることは予告されており、現実に法務局からその通知書を正規に受領していなくても、問い合わせるなどして右事実を了知する可能性があったのに、約三年を経過した後になって本件無催告解除に及んでいること、被告は前訴和解において定められた二〇〇万円の更新料を遅滞なく支払っていることなど、本件事実関係の下において総合勘案するときは、被告に本件賃貸借の無催告解除に値するほどの重大な背信行為があり、これが前訴和解によって新たに形成された原、被告間の土地賃貸借契約当事者としての客観的な信頼関係を破壊するに足りるとまで認めることは困難というほかはない。

二  被告の暴行等について

1  証拠(乙七、原告、被告各本人)によれば、平成四年一月四日、被告の自宅前私道上に違反駐車していた自動車の排除をめぐって、原告夫婦と被告との間で紛議を生じ、警察官が臨場する事態となったことが認められる。そして、その際の状況について、原告は、被告が、違反車両の運転者に対し、原告を指して、こんな馬鹿の言うことなんか聞くことはないなどと発言したほか、原告が違反車両の発車を止めようとしたところ、被告が原告を突き倒そうとしたのを原告の妻が支えようとした結果、原告の妻が押し倒された旨主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述部分がある。他方、被告は、原告がお前の借地は必ず取り上げるなどと言いながら被告に体当たりをし、原告の妻が被告の自動車が出るのを妨げるため前面の路上に寝転がったりした旨主張し、乙七及び被告本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分がある。しかし、客観的な裏付け証拠を欠く本件では、右の状況を的確に認定することは躊躇せざるを得ないが、前示事実経過に照らせば、両者間の感情的な対立に出たいさかいと見られるところ、右いずれの事実があったにしても、それだけでは、本件賃貸借の無催告解除を肯認するに足りるほどの賃貸借契約上の重大な義務違反が被告にあり、当事者間の客観的な信頼関係を破壊するに足りるものということはできない。

2  証拠(甲二六)によると、被告は、平成六年六月二七日から同年六月三〇日にかけて、数回にわたり、原告に対し、大声を上げて賃料の受領を求めたことが認められるが、前記認定事実に照らせば、原告が被告に対し同年六月二七日到達の書面をもって本件賃貸借の解除の意思表示をした直後における被告の対応であることが明らかであり、本件事実関係の下においては、右事実もまた、本件賃貸借の無催告解除の事由としては不十分であるといわざるを得ない。

三  そうすると、原告のした本件賃貸借の無催告解除はその効力を生じないものというべきである。

第四  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官篠原勝美)

別紙〈省略〉

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